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 新原・奴山古墳群 福岡県福津市奴山
  Shinbaru Nuyama tumulus cluster in Fukutsu city, Fukuoka Prefecture

 福津市複合文化センター カメリアステージ 歴史資料館
  Fukutsu city Museum
  Tsuyazaki, Fukutsu city, Fukuoka Prefecture



福津市に歴史資料館が新たにオープンしたことを知り訪ねてきました。
こちらの歴史資料館では特別展示室を設け、新原・奴山古墳群から出土した文化財を展示しておりました。
市内には古墳が多く、そこからの出土品を含めおよそ2万点ほど収蔵しているようで、順次公開されていくそうです。
今回、蛇行鉄器と呼ばれる馬の鞍の後方に取り付ける旗竿の固定具が展示されておりました。
市内の手光古墳群より出土したとのこと。
大変めずらしいもので、九州ではこちらの他に1件、畿内と関東、韓国を含めても10件程度の出土例しかないそうです。


玄界灘に面する福津市北部には、広い入海の港があったそうです。
近くの丘陵や台地上に古墳が築かれ、出土品や地理的状況から宗像氏一族の墳墓群と考えられています。
この地の古代豪族宗像氏は、入海の港と航海技術で半島との交流に関わり、沖ノ島祭祀を担ってきました。

これらの墳墓群は5世紀から7世紀にかけて築造され、総称して津屋崎古墳群と呼ばれております。
新原・奴山古墳群は津屋崎古墳群の一部で中でも最も密集する古墳群とのことです。
59基の墳墓が発見され、今は41基現存し、前方後円墳5基、円墳35基と方墳1基からなります。


1号墳(全長50mの前方後円墳)は道路拡張工事に伴う発掘調査が行われたところ、
石室から鉄製の鎧、兜、鉄製木工具を始め、その生産に必要な鉄鉗、鏨といった鍛冶道具まで出土しました。
宗像氏が祭祀だけでなく、先端素材の鉄を用いた鉄器生産に深く関わっていたようです。

7号墳(一辺24mの方墳)は5世紀前半に造られ、墳丘上に玉砂利が敷かれ、コハクの原石や鉄斧が表面採取されています。
鉄斧は沖ノ島でも共通のものが見つかっているとのこと。祭壇として使われていたともいわれています。

22号墳(全長80mの前方後円墳)は、新原・奴山古墳群の中で最大の規模で、前方後円墳の中では最も早く、5世紀後半に造られました。古墳の周りに周溝と周堤が巡らされ、墳丘に円筒埴輪が置かれていたそうです。その頃、沖ノ島では岩陰祭祀が始まります。

21号墳(直径17mの円墳)のおかれた位置は22号墳の周溝と重なる位置関係にあります。
これは22号墳の築造の際、21号墳と重なることを避けた結果と解釈され、、
21号墳は22号墳の築造以前に造られていたと見られています。

5号墳(円墳)からは革袋型土器が、49号墳(円墳)三連はそうが見つかっております。



掲載した写真は新原・奴山古墳群です。
資料館へ向かう途中に展望所があり、立ち寄りました。
形がよく残っている前方後円墳は30号墳で全長54m、6世紀中ごろ築造とのことです。

高台から臨む古墳群の先に筑前大島がはっきり見えました。




2017.7.24

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