柳葉形銅鏃
W 17mm L 61mm D 6mm 茎22mm(右端)
柳葉形銅鏃が3つ増えました。
鏃(ぞく)は矢の先端につける矢じりのことです。
縄文時代から黒曜石などの石が用いられてきましたが、
鉄や銅などの金属で作られるようになります。
掲載した銅鏃は古墳時代のものです。
銅鏃はどれを見ても丁寧に仕上げられており、
無駄のない形が印象的です。
先端部に赤い錆がありますが、
古墳に副葬されていたのでしょうか、
おそらくは鉄製具の錆がついたもののようです。
素材は銅に錫と鉛を合わせた金属なので、
緑青がところどころでております。
合間に銀色に光る部分が見えます。
少し磨けば、すぐに当時の姿になりそうですが、
この状態が置かれた環境によるものか、
原材料の特性によるものか良く分かりません。
1000年以上も昔の金属が、
この状態で残されていることにも驚かされます。
実用にはもったいないような形状と思っておりましたが、
儀器としてつくられていたもののようです。
奈良県天理市の東大寺山古墳から
261点の銅鏃が見つかっております。
奈良県桜井市のメスリ山古墳からは、
8組の束状で236点の銅鏃が出土しております。
どちらも4c~半ば頃に造築された前方後円墳で、
その地域に大きな影響力を持つ豪族のもののようです。
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2020.03.18
橿原考古学研究所付属博物館の巡回特別展
厨子神像 猿田彦大神
H 110mm
W 75mm
D 48mm
杖のような大きな枝を持ち、長髪で長い髭、
厳しい形相で睨みを利かせ岩座に立つ姿?
道ひらきの神として信仰されてきた猿田彦大神のようです。
江戸時代には庚申信仰や道祖信仰とも結びつき、
広く民間に親しまれ、掛け軸や石仏として姿が残されています。
図像をみると、それぞれ鉾や刀、榊などを手にしており、
さまざまな姿で表現されております。
共通するところは、力強い鼻と、目の睨みを強調して表されている点です。
簡素な厨子にもかかわらず、
太陽の光のイメージなのか内側には金箔が貼られ、
衣や履物にも金泥で装飾されております。
じっくり調べることができれば、
古墳時代の出来事をあれこれ想像できるようなきがしており、
個人的には腰を据えて勉強したい部分なのですが…。
平安時代に書かれた古事記や日本書紀、出雲国風土記には、
天孫降臨に関わる国津神として、
出雲、日向、伊勢での伝承が記されているそうです。
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2019.10.21