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   W4cm     H7cm      D3cm     厨子外寸

            


            

       





こちらの愛染明王は本体の高さが2cm程度でございますが、
ほぼ木地のまま仕上げられ、蓮弁も一枚ずつ彫刻されています。
よく見ていただくと、持物も全部揃っていることが分かります。
逆立った髪や着衣、胸元の装身具にも彩色がされております。

一般的に、体だけでなく光背から蓮弁まで、
赤いイメージが強い愛染明王ですが、
これは仏教で説かれているところの、
煩悩愛欲の激しさを象徴しているそうで、
愛染明王はその煩悩を、
清らかな菩提の心へと導く仏さまとのことです。

蓮華座を支える壺も特徴的で、
宝珠やら貝やら宝物が溢れだすとても賑やかなものもございます。

江戸時代には、この壺を藍染めに使われる藍壺に見立て、
愛染と藍染の語呂もよく、染織関連の人々からも信仰されておりました。

通常の愛染明王は一面六臂の姿で、手前の手に金剛鈴と金剛杵を、
二番目の手にに弓と矢を、三番目の手に蓮の花を持っており、
左手(左第三手)は持物を持たずに握り拳で表ます。

一部の仏画では左第三手に、日輪や宝珠、輪宝、甲冑、人頭、鳥など、
異なる持物を持つ姿で表されております。
どうやら本来の愛染明王は、私的なお願いをするほとけさまだったようで,
左第三手は祈願の目的により持物を変えて描き、
願いを書いた紙を左第三手の裏側に貼り付けて、
彫像ならば、獅子冠の口に入れて、祈祷がおこなわれていたようです。

平安時代の貴族たちが成功や出世、健康、寵愛などを願う様子が、
その頃の日記や記録に残されているとのこと。





愛染明王坐像        Aizen myouou zazo

江戸時代             Edo period 17~19 century 

2018.3.29



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 古墳時代  W1.8cm     L2.9cm     H1.1cm  



     
     

       






今年最初の勾玉です。

この勾玉は小振りながら厚みがあり、全体にふっくらしております。
白い石質の部分もございますが、ライトで透かすと濃い緑がとてもきれいに映ります。
頭の辺りには線が刻まれ、丁字頭になっており、紐穴の径は3mm弱、両側から穿孔されています。

昨年のことになりますが、ほぼ同寸、同様の勾玉を掲載させていただきました。
こちらの勾玉は昨年のものとは少し形状が異なります。
丸く大きな頭と、胴体との境にあるくびれ、鉤状にやや突き出た尻尾が特徴的です。

資料を探していると、
石上神宮社宝の硬玉製勾玉11品の中の1点に(3番目に小さいものに)似ているものがありました。
写真は撮影された環境で映り具合が実物と印象が異なることがあるので、比べにくいのですが、
形状と寸法がほぼ同じようです。ただし紐穴は今回のものより大きいです。

また、古墳時代の前期の終わり頃から中期の初め頃にかけて、
穿孔具の素材が石製から鉄製に移り変わるそうで、
その結果、孔の断面はすり鉢状から円筒状になるとのこと。

今回の勾玉の紐穴は直径が3mm弱と小さく、穿孔具が石製なのか鉄製なのか悩むところ。
ルーペで覗くと円筒状に見えないこともないのですが、メノウや水晶にあけられた穴とも違いますので、
石製の錐で穿孔したものかと。




ヒスイ製勾玉           Magatama jade
3~6世紀 古墳時代   3-6th century, Kofun period


2018.2.11

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 W13.5cm     H14cm    



縄文時代中期から後期頃のものと思われる小型深鉢です。
その頃の縄文土器にしてはおとなしい姿ですが、
口縁に一か所印象的なS字文が装飾されています。
区画された腹部の枠内に、それぞれに半円文、渦文が表されております。

割れた状態で出土しておりますが、欠損は少なく良好な状態です。

縄文土器は作られた時期と場所で形や装飾が異なります。
その違いは特徴として現れるので、出土地が分からなくとも、
おおよそのことが特定できることもあるのですが、…。
調べてみると形状や装飾に共通するものが出てくるものの、
そのものずばりの類品は見つからず、
おそらく縄文中期頃北関東辺りというところまでしか辿れませんでした。

深鉢形土器                      Jomon Deep Bowl
縄文時代中~後期           BC30th-10th century, midle~final Jomon period
 





2016.6.16
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   寸法    W2cm     L3.2cm     H1cm
  



今でこそ、翡翠は日本から産出する宝石として知られておりますが、
昭和14年新潟県の小滝から再発見されるまで、
大陸からもたらされたものと考えられておりました。
その理由は、日本では縄文時代より装身具の材料に使われていた翡翠が、
仏教が伝来する頃には使われなくなり、長い間その存在を忘れられていたからです。

また近代においても、中国の清朝(江戸~明治)で作られていた翡翠の工芸品が広く知れ渡っており、
日本で再び発見されるまでは、翡翠は中国に由来するものと認識されていたそうです。

そんなに忘れられてしまうのかと、ちょっと驚いてしまいますが、
そこには致し方ない歴史的な背景があったようです。


今回の勾玉は、ざっと1000年ぐらいの間、忘れられていた日本の翡翠からできています。

画像をを見ていただくと、とても丁寧に作られていることが分かると思います。
表面もきれいに磨かれていて、カセたところもありません。
光にかざせば、光が透過し翡翠らしい景色が現れます。
狼汗のように透き通るタイプではございませんが、淡い緑の色あいは見所です。

頭部に刻まれた三本の線は、深さが1mmにもみたない溝になっています。
このような刻み目をもつものは丁字頭“ ちょうじがしら ”、丁字は香辛料のクローブのことで、
その似た姿から呼ばれるようになりました。
今回の丁字頭は彫りが薄く、写真に収めるのも一苦労でした。
これが装飾なのか用途があるのか分かりませんが
もしかすると単純化された伝統的なデザイン?なのかもしれません。
弥生時代の勾玉に良く見られます。

大きさも手頃で光沢もあり、感触も心地よいので、
アクセサリーに加工されても、手元で鑑賞されても楽しめるはず。
宜しければ、一度実物もご覧いただきたいと思います。


ヒスイ製勾玉           Magatama jade
3~6世紀 古墳時代   3-6th century, Kofun period









h8h7h6h5h4h3h2




2017.8.22



無題











11面観音菩薩坐像          Jyuichimen kannon bosatu za zou
17~19世紀 江戸時代   17~19 century Edo period
W7cm     H6cm      D2.8cm     厨子外寸





無題5無題6無題4無題2無題3



2017.8.24

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