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古墳時代  W14cm       H14cm  


鋸歯模様の彩色が施された土師器です。

彩色された埴輪を見たことがあるのですが、
土師器では初めてのことでした。

赤と白の鋸歯文がとても印象的です。


箱には大泉古海と記載されております。
群馬県邑楽郡大泉町古海のことのようで、
古海前原古墳群、古海松塚古墳群がございます。

東京国立博物館蔵の“椅子に座る巫女”は
古海松塚古墳群の中より出土したと伝えられているそうです。

古海松塚11号墳は5世紀中ごろの帆立貝形古墳で、
群馬県では最も古いタイプの人物・動物埴輪が出土しております。

口縁に欠損があり、補修されております。




2018.5.28

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     W5cm     H9.5cm      D3cm     厨子外寸
          


地蔵菩薩は、皆様ご存じのとおりお地蔵さんと呼ばれ、
昔から慣れ親しまれたほとけさまです。
これまで身分に関わらず大変多くの人々から、
どこであってもすべての苦しみから救済してくださるほとけと信仰されてきました。
田植え地蔵、身代わり地蔵、延命地蔵、腹帯地蔵、子守地蔵、将軍地蔵などなど、
鎌倉時代にはすでに多用な地蔵信仰があり、
今に至るまで親しまれてきた歴史がございます。

こちらの地蔵菩薩の像高は4.5cmです。
左手に宝珠、右手に錫杖を持っています。
体部は素地のまま仕上げられ切金で装飾、
口元と嬰珞は彩色、蓮弁、台座、光背は金泥彩色です。
足先と蓮弁、宝珠を持つ左手ににわずかな疵がございますが、
全体的には状態も良く丁寧に作られております。

一般的に地蔵菩薩の坐像は、
蓮華座の上で足を組み合わせて座る姿が大半ですが、
こちらの地蔵菩薩は左足を前に下げております。
この姿は少し珍しく半跏像とよばれております。
日本では平安時代の終わり頃、盛んに作られていたようです。

敦煌莫高窟の壁画にも頭巾を被った地蔵菩薩が同様に描かれており、
地蔵菩薩の半跏の姿は、形式として大変古いようですが、
なぜその姿で表されたのかは分かっていません。

釈迦の入滅後、弥勒仏が現れるまでの間、
地蔵菩薩が衆生の救済につとめることから、
兜率天で修業中の弥勒菩薩と同じ姿で表されたという説があるとか。


時折、地蔵菩薩に若者の容貌に表されることがあります。
単に造立願主の好みもあると思われますが、
鎌倉時代に“若き僧”のような容姿麗しい姿が好まれていた時期があったようです。

滋賀県愛荘町の仏心寺に伝わる地蔵菩薩は、
右手に錫杖の代わりに矢を持つ姿で表されております。

この地蔵菩薩には、
平諸道の父が合戦の最中、矢を射つくして苦境に立たされ、
氏寺の地蔵菩薩に救いを念じると、“小法師”に姿を変えた地蔵菩薩が現われ、
矢を拾い集め助けてくれたという矢取地蔵の説話も共に伝えられております。

仏になり代わり人々を救済すると信じられた地蔵菩薩には、
この説話のように、その姿を"若き僧""小さき僧"に身を変えて現れ霊験を示すという説話が、
いくつも残されているそうです。

耳にした"若き僧""小さき僧"に身を変えた地蔵菩薩のご加護を受けたく、
地蔵菩薩を"若き僧”のような容姿麗しい姿に造る。そのような背景があったようです。

少々時代が離れておりますが、
こちらのお地蔵さんもなかなか麗しいお顔をされています。
よく見ると、白毫も無いので、ますますお坊さんに見えてきます。





地蔵菩薩坐像         Jizo bosatu zazo(ksitigarbha)
江戸時代                 Edo period 17~19 century



2018.2.23


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普賢菩薩坐像  三尊       
Fugen bosatu za zou san zon
17~19世紀 江戸時代   17~19 century Edo period
W7cm     H6cm      D2.8cm     厨子外寸



普賢菩薩は、単独で祀られることもありますが、
大多数が文殊菩薩と共に釈迦如来の脇持に置かれております。
こちらの厨子仏は普賢菩薩を中心にした三尊。
この三尊の形式は見たことがなく、初めて見る組合わせです。

もしかすると、普賢菩薩を無理やり後から付けたものと疑ってしまうところ…。
注意して右隣りの観音像と見比べていただくと、
顔立ちや髻、衣文、瓔珞の作行きに共通点が見られ、
岩座と台座の接合部分も自然なことから、
間違いなくこの三尊形式に作られたようです。

この観音像につきましては、持物が失われておりますが、聖観音菩薩と思われます。
右手には蕾の蓮華を持っていたようです。左手は指先で花弁を摘むように添えられています。
左隣の愛染明王は後ろの六臂、持物も含め一材から彫りだされており、
頭頂の獅子冠にはしっかり五鈷も付いております。

残念ながら、普賢菩薩の両腕が欠損しています。
厨子の扉も傷んでおり、台座の蓮弁につきましてはほとんど剥落しております。

厨子の内寸は幅6.5×高さ5cmですが、この空間によく納まっていると感心します。
小さいながらも、お顔も優しく、ぜひ実物をルーペでご覧いただきたいと思います。

でも、なぜこの三尊なのか理由は分かりません。








2017.9.26


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   W4cm     H7cm      D3cm     厨子外寸

            


            

       





こちらの愛染明王は本体の高さが2cm程度でございますが、
ほぼ木地のまま仕上げられ、蓮弁も一枚ずつ彫刻されています。
よく見ていただくと、持物も全部揃っていることが分かります。
逆立った髪や着衣、胸元の装身具にも彩色がされております。

一般的に、体だけでなく光背から蓮弁まで、
赤いイメージが強い愛染明王ですが、
これは仏教で説かれているところの、
煩悩愛欲の激しさを象徴しているそうで、
愛染明王はその煩悩を、
清らかな菩提の心へと導く仏さまとのことです。

蓮華座を支える壺も特徴的で、
宝珠やら貝やら宝物が溢れだすとても賑やかなものもございます。

江戸時代には、この壺を藍染めに使われる藍壺に見立て、
愛染と藍染の語呂もよく、染織関連の人々からも信仰されておりました。

通常の愛染明王は一面六臂の姿で、手前の手に金剛鈴と金剛杵を、
二番目の手にに弓と矢を、三番目の手に蓮の花を持っており、
左手(左第三手)は持物を持たずに握り拳で表ます。

一部の仏画では左第三手に、日輪や宝珠、輪宝、甲冑、人頭、鳥など、
異なる持物を持つ姿で表されております。
どうやら本来の愛染明王は、私的なお願いをするほとけさまだったようで,
左第三手は祈願の目的により持物を変えて描き、
願いを書いた紙を左第三手の裏側に貼り付けて、
彫像ならば、獅子冠の口に入れて、祈祷がおこなわれていたようです。

平安時代の貴族たちが成功や出世、健康、寵愛などを願う様子が、
その頃の日記や記録に残されているとのこと。





愛染明王坐像        Aizen myouou zazo

江戸時代             Edo period 17~19 century 

2018.3.29



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 古墳時代  W1.8cm     L2.9cm     H1.1cm  



     
     

       






今年最初の勾玉です。

この勾玉は小振りながら厚みがあり、全体にふっくらしております。
白い石質の部分もございますが、ライトで透かすと濃い緑がとてもきれいに映ります。
頭の辺りには線が刻まれ、丁字頭になっており、紐穴の径は3mm弱、両側から穿孔されています。

昨年のことになりますが、ほぼ同寸、同様の勾玉を掲載させていただきました。
こちらの勾玉は昨年のものとは少し形状が異なります。
丸く大きな頭と、胴体との境にあるくびれ、鉤状にやや突き出た尻尾が特徴的です。

資料を探していると、
石上神宮社宝の硬玉製勾玉11品の中の1点に(3番目に小さいものに)似ているものがありました。
写真は撮影された環境で映り具合が実物と印象が異なることがあるので、比べにくいのですが、
形状と寸法がほぼ同じようです。ただし紐穴は今回のものより大きいです。

また、古墳時代の前期の終わり頃から中期の初め頃にかけて、
穿孔具の素材が石製から鉄製に移り変わるそうで、
その結果、孔の断面はすり鉢状から円筒状になるとのこと。

今回の勾玉の紐穴は直径が3mm弱と小さく、穿孔具が石製なのか鉄製なのか悩むところ。
ルーペで覗くと円筒状に見えないこともないのですが、メノウや水晶にあけられた穴とも違いますので、
石製の錐で穿孔したものかと。




ヒスイ製勾玉           Magatama jade
3~6世紀 古墳時代   3-6th century, Kofun period


2018.2.11

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