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宗像大社 沖津宮遥拝所
Munakata taisya shrine Okitsu-gu youhaijyo
Oshima island, Munakata city Fukuoka Prefecture

御嶽神社/大島御嶽山遺跡
Mitake jinnjya shrine/Oshima Ontake san ritual site
Oshima island, Munakata city Fukuoka Prefecture


市営大島渡船で筑前大島へ。

島の周囲は15キロです。
ガイドマップでは、中津宮から御嶽神社を経由して沖津宮遥拝所へ行くルートが、
全長7キロ、所要時間は徒歩で2時間40分と紹介されています。

沖津宮遥拝所は、渡島が禁止されている沖ノ島を拝むための場所です。
島内ではこの場所と中津宮、御嶽神社が、
宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産に登録されております。

いつからここに遥拝所があったのか調べてみると、
どうやら詳しいことはあまり分かっていないようでした。
唯一残っている手掛かりは、階段の手前に残る石碑。
寛延3年(1750年)と刻まれており、
少なくとも18世紀中頃にはあったことを示しているとのこと。

島の北側に位置しており、沖ノ島はここより49キロ先にあります。
晴れて空気の澄み切った日には、はっきりと沖ノ島を望むことができるそうです。





御嶽神社は標高223メートルの御嶽山山頂にあります。
山頂にある展望台からは、大島港を見下ろすことができ、
その先の宗像や福津が良く見えておりました。

この場所は中津宮の起源となる古代祭祀遺跡(大島御嶽山遺跡)でもあります。

平成22~23年にかけて実施された宗像市教育委員会調査によりますと、
7世紀後半~9世紀にかけて、この場所でも露天祭祀が行われてきたようです。
社殿の造成のため遺跡の一部は失われましたが、
山頂の南側斜面を中心に多くの遺物が見つかっております。

見つけられた遺物は、
奈良三彩の小壺(5個体)蓋(6個体)をはじめ、製塩土器、須恵器、土師器など諸々、
滑石製品 形代(人形馬形舟形)、円盤、勾玉、臼玉、
青銅製品(雛形容器 琴形状雛形)、八稜鏡、鈴など、
鉄製品(鏃・鉾・刀子雛形品・刀子実用品など)。

これらの遺物には沖ノ島で奉献されていたものと共通するところがあり、
沖ノ島と連動して祭祀が行われてきたことが分かるそうです。
沖ノ島では半岩陰・半露天祭祀~露天祭祀が行われていた時期にあたるそうです。





今回、島内の移動は、レンタカーを借りることにしました。
効率よく周ることができ、エアコンも快適でとても助かりました。
道路には案内表示が整備されており、迷うこともありませんでした。

遥拝所では、

肝心の沖ノ島を、見たはずなのに疑心暗鬼。
スマホの写真にも写っておらず、
もやもや感が残る残念な結果になりました。
聞くところによると、晴れていても沖の湿度が高い時には、靄が出てしまい見えにくいとのこと。
次は、寒い時期に行きたいと思います。

2017.8.23

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創刊40周年の節目に、
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そして誌内ほぼ全て勾玉の内容。見応え十分です。
まだご覧になってない方、お勧めします。

目の眼HPからも購入できるそうです。

2017.8.23


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   宗像大社辺津宮 下高宮祭祀遺跡   福岡県宗像市田島
   Munakata taisya shrine Hetsumiya Shimotakamiya ritual site
   Tajima, Munakata city Fukuoka Prefecture
  



下高宮祭祀遺跡は宗像大社辺津宮社殿の背後にある高台の中腹にあります。
沖津宮のような巨石はありませんが、同じ露天祭祀が行われてきた場所とのこと。
現在は、遺跡の一部が高宮祭場として整備されており、秋季大祭には、
ここで神奈備祭が行われております。

この辺りから、釣川の河口や大島へ続く海を見渡すことができましたが、
今回は高宮祭場を参拝するだけで、あまり長くは滞在しませんでした。

後日、調べてみると、付近の複数個所から土器や滑石製品などが採集されており、
また、この高台の山頂部に古墳があったことを知りました。

高宮祭場の東側では石製模造品の舟形が採集されており、
その場所は、ちょうど海の方を眺めていた所のすぐ横でした。

西側と北側の斜面からも須恵器や土師器が採集されており、
その一部は布留式最古段階のようです。

沖ノ島や大島からも同じ頃の古式土師器が発掘されており、
沖ノ島で岩上祭祀が始まる前に、下高宮祭祀遺跡、沖ノ島と大島で、
土器を主体とする在地の祭祀がすでに行われていたと考えることもできるようです。

山頂の古墳は、上高宮古墳と呼ばれ、4世紀後半に築造された直径23mの円墳です。
社家の祖神伝承地とのことで、今は祠があるそうですが、
一般の方の立ち入りはできません。

江戸時代の初め社殿の修復の際に、
風除けの土塁を造るため掘り下げたところ、箱式石棺が出てきたそうです。
中から、鏡12点の根72点太刀2点が見つかりましたが、そのまま埋め戻されました。

大正15年には、福岡県と史跡名勝天然記念物調査会が調査することになりました。
石棺には赤色顔料塗られており、
鏡1点、銅鏃6点、勾玉20点、管玉11点、蕨手刀子2点,刀子2点、鉄斧2点、鉄鏃40点、
鉄剣4点以上、鉄刀2点以上、短甲、滑石製品が発掘され神宝館へ寄託されました。
一部は宗像郷土資料館へ寄贈されているとのことです。

昭和12年には第三宮跡(現在の第三宮と護国神社の間の辺り)で
倣製鏡、短甲形石製模造品や土器が出土しています。

また、第二宮跡周辺(結婚式場の横の道と下高宮旧参道が交差する辺り)で
鏡や太刀が度々出土していたことが江戸時代の文献で伝えられております。

最後の写真は頂上部にある祠への参道のようです。

2017.7.30


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