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menome kiritori













創刊40周年の節目に、
70ページにわたる大特集が組まれております。
そして誌内ほぼ全て勾玉の内容。見応え十分です。
まだご覧になってない方、お勧めします。

目の眼HPからも購入できるそうです。

2017.8.23


shimotakamiya












   宗像大社辺津宮 下高宮祭祀遺跡   福岡県宗像市田島
   Munakata taisya shrine Hetsumiya Shimotakamiya ritual site
   Tajima, Munakata city Fukuoka Prefecture
  



下高宮祭祀遺跡は宗像大社辺津宮社殿の背後にある高台の中腹にあります。
沖津宮のような巨石はありませんが、同じ露天祭祀が行われてきた場所とのこと。
現在は、遺跡の一部が高宮祭場として整備されており、秋季大祭には、
ここで神奈備祭が行われております。

この辺りから、釣川の河口や大島へ続く海を見渡すことができましたが、
今回は高宮祭場を参拝するだけで、あまり長くは滞在しませんでした。

後日、調べてみると、付近の複数個所から土器や滑石製品などが採集されており、
また、この高台の山頂部に古墳があったことを知りました。

高宮祭場の東側では石製模造品の舟形が採集されており、
その場所は、ちょうど海の方を眺めていた所のすぐ横でした。

西側と北側の斜面からも須恵器や土師器が採集されており、
その一部は布留式最古段階のようです。

沖ノ島や大島からも同じ頃の古式土師器が発掘されており、
沖ノ島で岩上祭祀が始まる前に、下高宮祭祀遺跡、沖ノ島と大島で、
土器を主体とする在地の祭祀がすでに行われていたと考えることもできるようです。

山頂の古墳は、上高宮古墳と呼ばれ、4世紀後半に築造された直径23mの円墳です。
社家の祖神伝承地とのことで、今は祠があるそうですが、
一般の方の立ち入りはできません。

江戸時代の初め社殿の修復の際に、
風除けの土塁を造るため掘り下げたところ、箱式石棺が出てきたそうです。
中から、鏡12点の根72点太刀2点が見つかりましたが、そのまま埋め戻されました。

大正15年には、福岡県と史跡名勝天然記念物調査会が調査することになりました。
石棺には赤色顔料塗られており、
鏡1点、銅鏃6点、勾玉20点、管玉11点、蕨手刀子2点,刀子2点、鉄斧2点、鉄鏃40点、
鉄剣4点以上、鉄刀2点以上、短甲、滑石製品が発掘され神宝館へ寄託されました。
一部は宗像郷土資料館へ寄贈されているとのことです。

昭和12年には第三宮跡(現在の第三宮と護国神社の間の辺り)で
倣製鏡、短甲形石製模造品や土器が出土しています。

また、第二宮跡周辺(結婚式場の横の道と下高宮旧参道が交差する辺り)で
鏡や太刀が度々出土していたことが江戸時代の文献で伝えられております。

最後の写真は頂上部にある祠への参道のようです。

2017.7.30


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 新原・奴山古墳群 福岡県福津市奴山
  Shinbaru Nuyama tumulus cluster in Fukutsu city, Fukuoka Prefecture

 福津市複合文化センター カメリアステージ 歴史資料館
  Fukutsu city Museum
  Tsuyazaki, Fukutsu city, Fukuoka Prefecture



福津市に歴史資料館が新たにオープンしたことを知り訪ねてきました。
こちらの歴史資料館では特別展示室を設け、新原・奴山古墳群から出土した文化財を展示しておりました。
市内には古墳が多く、そこからの出土品を含めおよそ2万点ほど収蔵しているようで、順次公開されていくそうです。
今回、蛇行鉄器と呼ばれる馬の鞍の後方に取り付ける旗竿の固定具が展示されておりました。
市内の手光古墳群より出土したとのこと。
大変めずらしいもので、九州ではこちらの他に1件、畿内と関東、韓国を含めても10件程度の出土例しかないそうです。


玄界灘に面する福津市北部には、広い入海の港があったそうです。
近くの丘陵や台地上に古墳が築かれ、出土品や地理的状況から宗像氏一族の墳墓群と考えられています。
この地の古代豪族宗像氏は、入海の港と航海技術で半島との交流に関わり、沖ノ島祭祀を担ってきました。

これらの墳墓群は5世紀から7世紀にかけて築造され、総称して津屋崎古墳群と呼ばれております。
新原・奴山古墳群は津屋崎古墳群の一部で中でも最も密集する古墳群とのことです。
59基の墳墓が発見され、今は41基現存し、前方後円墳5基、円墳35基と方墳1基からなります。


1号墳(全長50mの前方後円墳)は道路拡張工事に伴う発掘調査が行われたところ、
石室から鉄製の鎧、兜、鉄製木工具を始め、その生産に必要な鉄鉗、鏨といった鍛冶道具まで出土しました。
宗像氏が祭祀だけでなく、先端素材の鉄を用いた鉄器生産に深く関わっていたようです。

7号墳(一辺24mの方墳)は5世紀前半に造られ、墳丘上に玉砂利が敷かれ、コハクの原石や鉄斧が表面採取されています。
鉄斧は沖ノ島でも共通のものが見つかっているとのこと。祭壇として使われていたともいわれています。

22号墳(全長80mの前方後円墳)は、新原・奴山古墳群の中で最大の規模で、前方後円墳の中では最も早く、5世紀後半に造られました。古墳の周りに周溝と周堤が巡らされ、墳丘に円筒埴輪が置かれていたそうです。その頃、沖ノ島では岩陰祭祀が始まります。

21号墳(直径17mの円墳)のおかれた位置は22号墳の周溝と重なる位置関係にあります。
これは22号墳の築造の際、21号墳と重なることを避けた結果と解釈され、、
21号墳は22号墳の築造以前に造られていたと見られています。

5号墳(円墳)からは革袋型土器が、49号墳(円墳)三連はそうが見つかっております。



掲載した写真は新原・奴山古墳群です。
資料館へ向かう途中に展望所があり、立ち寄りました。
形がよく残っている前方後円墳は30号墳で全長54m、6世紀中ごろ築造とのことです。

高台から臨む古墳群の先に筑前大島がはっきり見えました。




2017.7.24

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