縄文時代の勾玉

L27mm
W20mm
D7mm
孔直径4~8mm
縄文時代の勾玉です。
小振りですが、独特な存在感があります。
形の異様さは縄文時代の特徴の一つで見所です。
縄文時代後期頃には作り始められていたそうです。
縄文勾玉は、多様な形が存在します。
こちらのものは内側の弧の部分が “ く ” の字に見えるタイプです。
すり鉢状の孔の形も独特です。
片側の写真のみの掲載ですが、
同じような孔が反対側からも穿孔されています。
貫通部の径も大きめですが、大珠の孔とも異なります。
工具の違いがあるのかもしれません。
緑色に見える所もありますが、
良く見ると表面のちいさなくぼみに、
水晶のような細かい結晶があります。
ヒスイではなさそうです。
縄文時代には様々な石が石製装飾品に使われておりました。
この縄文時代の存在感を実物でご覧いただきたいと思います。
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2020.03.22
ヒスイ製勾玉
柳葉形銅鏃

W 17mm L 61mm D 6mm 茎22mm(右端)
柳葉形銅鏃が3つ増えました。
鏃(ぞく)は矢の先端につける矢じりのことです。
縄文時代から黒曜石などの石が用いられてきましたが、
鉄や銅などの金属で作られるようになります。
掲載した銅鏃は古墳時代のものです。
銅鏃はどれを見ても丁寧に仕上げられており、
無駄のない形が印象的です。
先端部に赤い錆がありますが、
古墳に副葬されていたのでしょうか、
おそらくは鉄製具の錆がついたもののようです。
素材は銅に錫と鉛を合わせた金属なので、
緑青がところどころでております。
合間に銀色に光る部分が見えます。
少し磨けば、すぐに当時の姿になりそうですが、
この状態が置かれた環境によるものか、
原材料の特性によるものか良く分かりません。
1000年以上も昔の金属が、
この状態で残されていることにも驚かされます。
実用にはもったいないような形状と思っておりましたが、
儀器としてつくられていたもののようです。
奈良県天理市の東大寺山古墳から
261点の銅鏃が見つかっております。
奈良県桜井市のメスリ山古墳からは、
8組の束状で236点の銅鏃が出土しております。
どちらも4c~半ば頃に造築された前方後円墳で、
その地域に大きな影響力を持つ豪族のもののようです。
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2020.03.18